№2「逝去後の葬式と存命中、どっちが大事」

日々の「我想う」
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葬儀支援をするようになって初めて気づいたのが、人の終幕は『存命中』と『逝去後』に分れるという事でした。存命中は医者任せで自分達で何かしようとせず、逝去した途端に騒ぎ出すのが大多数、ただ騒ぐのは『葬儀屋は』『お寺は』『葬式の日程は』『誰を呼ぶか』『返礼品は』『料理は』と決まり事のようなお祭り騒ぎ――、家族は自宅や施設に来る親戚や隣保の接待に追われ、故人とお別れをする時間さえ満足になく、葬式では会葬者に頭を下げて回り、お坊さんの接待をし、気が付けば焼骨になってたって家族も多いんじゃないかな。

お祭り騒ぎが済むと誰も居なくなり「夏草や兵どもが夢の跡」更に寺への布施と葬儀社の支払いで少なくとも100万円以上の出費、香典である程度は賄えるけど、今時近所で助け合う地域なんて、相当な田舎じゃなければ無いほど世間との接し方は変化していますから、葬式の在り方そのものが変わって当然、それに義理で来る人の本心は迷惑なんです。自分が葬式に行く時の心境を考えれば分るでしょ。

こんな葬式、誰の為に、何の為にしているのでしょう。本来葬式とは残る家族の為にしているもの(まさか故人の為なんて思ってないよね)なのに、どう考えても家族の為とは思えません。生活に支障をきたす葬式代、ローン支払いなどもってのほか、家族の生活や人生を犠牲にする葬式を故人が望みますか!? まともな神経の故人なら、そんな馬鹿げた事を望むはずが無い。だとすれば、お寺と葬儀屋の儲けの為の葬式!?これ以外に思い当たる部分がありません。

今の葬式は、千件以上の葬式を施行している僕でも全く理解できませんし、こんな葬式が令和の時代でも当たり前のように行われている日本は葬式後進国!? としか思えません。半世紀前、満足に食えない時代から葬式の根底は進歩していません。

呼び名は何でも良いけど、仮に存命中の別れを受け入れる為の時間を『葬儀』と呼び、逝去後を『葬式』とすると、大事なのは死後でなく、存命中のお別れだし、逝去後に最も重要なのは葬式でなく『後に残る家族の生活』です。その理由は以下の通りです。

『死後より存命中が大事』
・生前のお別れは、やり直せない後悔をしない為の時間、存命中にしか出来ません
・医師は誤嚥性肺炎を憂慮しますが、家族の後悔はしてあげられなかった事、だから――、
・食べたい物があったら、死んでも良いから食べさせる
・行きたい場所があるなら、死んでも良いから連れて行く
・逢いたい人がいるなら、意思の疎通ができるうちに逢わせる
・存命中のお別れで無理の無い範囲で使うお金は「無後悔」のための生き金です
・死後の葬式にいくらあれば良いかと心配する老人、この馬鹿げた考え方は払拭すべき

『逝去後』
・血縁でなく日々深く交流のあった人達(家族)だけで温かく送ってあげたい
・信仰の有無で葬式内容は変えればいい、無信仰なら火葬だけの葬式で当たり前と知る
・残る家族の生活が最優先、絶対に無理はしない、借金やローンなど基本論外だと思え

『故人を供養したいなら』
・残る家族の生活に支障が出ず、毎日を元気な笑顔で過ごす事が最高の供養です
・供養の根底は「故人を忘れない事」但し、故人に縛られてはいけない
・自分に縛られてる家族を見る故人、心配をさせるのが供養になるはずがない

『結論』
・死後に騒ぐな、騒ぐなら生きてる時、出来れば普通の生活が出来る段階から葬儀は始める
・今の葬式を冷静に考えてみて、何の為の、誰の為の葬式かきっちり説明できる人いる!?
・あ、但し、金が有り余ってる人は、どうせ自己満足ですから好きなようにすれば良いんです

》『死後の葬式より、絶対に生きてる今が大事』なのがお分かり頂けただろうか――、

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