年寄りの冷や水も悪くない

我想う支援日誌
この記事は約3分で読めます。

前回は珍しく疲れの取れない自分を感じたままを書きましたが、老化による体力の衰えは自然現象ですが、気力が落ちれば体力の衰えにも拍車が掛かるでしょうから、気力を萎えさせない対策が必要、最悪なのは無気力で生活する事でしょうから、目標や目的を持った日々を生きることでしょう。

10年・20年先を見越した手を打っておく

60才定年、65才定年などサラリーマンにはあるでしょうが、定年後にどうするか考えてるようでは手遅れ、ちなみに偶然からでしたが、52才から老後の生き様を歩き始め17年後の今は『気力の源』みなもととなっていますから、10年程度の余裕を持って将来を考えるのが良さそうです。

僕のケースで言うと食えるようになったのは設立4年後、あんしん館開設以降ですから、そのくらいの余裕を持って新たな収入源と生き甲斐を求められると良いでしょう。

自分の資質と本音を知るべし

父親逝去の一報が裁判所から届くという偶然から始まりましたが「死」を改めて考える機会に恵まれ、現状の葬式と自分の中にある「死後の在り方」の相違から、先人の無い葬儀支援に辿り着いたように自分の資質や思いを殺さず、できれば在職中に道筋を建てるのがベターでしょう。

生きる為の収入を得るのは確かだけど、仕事外で生き甲斐を持てる人は良いとしても、老いても収入面だけの仕事をするより、早い段階で助走できれば仕事の中に生き甲斐や遣り甲斐を見出すことも出来る気がするし、それが出来れば、より長く続けようとするし、気力も萎えないと思うのです。

年寄りの冷や水で結構

365日無休・電話が鳴れば24時間対応の仕事、誰がどう考えても70才に成ろうとする老人がする仕事ではありませんし、年寄りの冷や水の言葉がピッタリですが、僕のような根が軟弱な人間には電話が鳴れば、寝てようが、正月だろうが、極論を言えば体調が悪かろうが動くしかないから動けるのです。

52才から69才の現在まで17年間は、インフルエンザで高熱を出して2日間、胃癌の手術で入院した8日間以外で、丸々休んだ事はなく、それで過ごせたのは葬儀支援をしてきたからだろうと思える。ちょっと具合が悪いから休み、正月だからと休みが取れる仕事だったら、今より弱い身体だったかもしれません。

運動はしてませんが、できる健康診断は毎年全て行い、持病である糖尿病と脂肪肝は2カ月に1度、血液と尿の検査で確認しながら付き合って10数年、歯医者も含め症状が出れば速攻で専門医に掛かり、早期発見で最小限の治療内容と費用で乗り切ろうとするのも5,000名会員への責任感からです。

あなたの気力はあなたにしか分かりません

先日、同級生からのメールには同級生で、肉体的な労働をしてる友人は誰もいなくなったと書いてありましたが、周囲や同級生はどうでも良く、自分が――、自分は――、が大事、例えば僕が70才になる事を強く意識してたら、多分今のような日々を送れず、もっと老け込んでただろう。

若く見せようとする必要はありませんが、気力、体力が若ければ自然と若く見えるもの、僕自身の経験則で言うと、体力面は落ちても20才でも、40才でも、60才でも、内面的に大きな変化はありませんでしたから、年だから出来ないと考えたことすら無いんじゃないかな。

子供の頃にローラースケートが得意だった事と、スキーとかは「身体が覚えてるから大丈夫」と言われてたので、きっとローラースケートも同様だろうと滑りだして数分後、後頭部直撃で転倒、脳震盪を起こし、気持ち悪くなって夜間救急でレントゲンを撮った事がありました。幸い出血もしておらずでしたが、転倒後、ラウンドワンの1階まで降りた記憶は今もありません。

「もう年なのだから――、」と周囲や若い人達から言われるでしょうが、それを納得したら終わり、無理をする必要はありませんがチャレンジ精神を無くすのが良いとは思えません。60才を超えた先は「あなた次第です」軟弱な人は僕のように追いかけられる仕事もありです。

コメント