墓参りが大事な訳ではない

我想う支援日誌
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会員さんの親戚から問合せ

会員さんから電話で「散骨だとしても手を合わせる場所が無いってどういう事? と親戚から色々言われたらしく、良くして貰ったのに電話が行って迷惑を掛けてしまうかもしれません。すみません」当方に迷惑を掛けるかもしれない懸念の連絡があった直後、親戚の方から電話が入りました。

当支援センターの主張「供養したいと思うなら墓参りが大事な訳でなく、忘れない事、時々で良いから思い出すこと、そして元気な笑顔で過ごす姿を見せ続けることだと思います」等を千明が説明すると「分かりました」と納得された印象だったと家族にも連絡したようです。

自信が無ければ墓参りもあり

当方には自社永代供養墓があり、いつでも手を合わせられる場は設けてありますが、墓参りはいつか必ず行けなくなる事、個人的にはそれが最善とは思えない事、人数不問で1家族年間2千円と低料金とはいえ費用が掛かり続ける事もあり、適量の粉骨を自宅で手元供養するのが最善と伝えています。

夢に出てきたり、何気なく思い出すのは故人を忘れてない証拠であり供養の基本です。想い出したら、いつでも手を合わせられるのが粉骨の自宅手元供養、仏壇より日常を過ごした「居間」に置かれると良いでしょう。自分が故人ならと考えると、真暗で多湿で虫が這う墓より断然良いと思います。

あなたが故人なら、多湿、真暗、虫が這う墓の中に置かれ、彼岸、命日、盆に墓参りしてくれるのと、自宅で手元供養のどちらを望みますか? 大切な人なら時々思い出す人が多いと思うのですが、思い出さない人は墓があれば彼岸や盆は否でも思いだすでしょうから墓の建立もありでしょう。

但し墓は子供達の足枷になること、墓守がいなければ祭祀継承(民法)で誰かが相続させられるなど、生きてる人達に迷惑を掛ける可能性が発生する事も考慮する必要があり、少子化、核家族化時代の今、墓の管理、墓閉じ費用等でも問題が生じる可能性があります。

ただ故人を忘れない事が供養の基本だけれど、故人に縛られるのは良い事ではありません。あなたが今生で心から幸せな人生を過ごしてこそ、あなたが大切に思う故人も供養される事を忘れてはいけません。

墓参りは前提に「思い出す」があります

あなたが独り住まいだったとして、子供や孫達が好きな物を持って年に数回訪ねてくれるのと、何も持って来ないけど時々訪ねてくれる子供や孫達のどちらが良いですか? 

死んだ人に意識があるのか、死後の世界があるのか、死後も現世が見えるのか、その事実を明確で正確に伝えられる人は、この世に誰もいません。でも今の自分ならと考えることはできますから、自分ならこう思う、こうして欲しいと思うことを故人に対してすれば良い――、それが供養の基本です。

葬儀支援の道は偶然から始まった予想外の道、17年目の今、改めて考えても不思議な偶然の重なりでしたが、そのお蔭で祖父母、両親、姉、親戚、知り合いなど、現世では逢えない人達を思い出せる自分がいて、先に逝った人達の多くは教師、反面教師であることにも気付かされます。

その辺りを改めて考察してみるのも良いかもしれません。次回から「葬儀支援17年目の想うメリット・デメリット」を書いてみようと思います。

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