我想う支援日誌

火葬炉前のお別れ対応もあり

家族の終幕前は医療費など予想以上の出費も珍しくありません。葬儀社、宗教者、世間は逝去前の出費は考慮せず葬式だけを捉える傾向にありますが家族はたまったものではありません。コロナ感染はマイナスでしたが葬式に関しては恩恵があるかもしれません。
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搬送時に渡して欲しい死亡診断書

大半の病院は搬送時に死亡診断書を渡してくれますが、地域や病院によっては翌朝朝10時以降に取りに来てくださいと当たり前のように言う病院もあります。診断した医師がその場で記入すれば渡せるものだけに遠方への搬送時は家族の負担が増え納得できません。
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9人連続で深夜早朝搬送さすがにきつい

深夜、早朝の搬送が続くと超零細企業で超低料金を維持したい葬儀支援の立場としては辛いけど頑張るしかない現実、言わなければ誰にも分らないこんな現実の積み重ねが葬儀支援の真髄、建物が大きい、スタッフが多いと自慢?する葬儀社うちは高額ですよと言ってるようなもの。
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死亡診断書「記名押印」と「署名」

印鑑が100円が買える時代ですから犯罪防止の意味も含め署名時代は当然の流れだろうし、ネットが普及した今、紙面で稟議書を移動させる無駄に時間の掛る時代も終わっているだろう。あとは国家として頓挫せず順次推し進める姿勢を崩さない事だと思う。
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最大ポイントは存命中の家族

何でも金を払えば叶うわけではありません。金で解決できるのはマニュアル化できる範囲限定、それ以上のものは担当者自身のレベルや考え方は家族との信頼関係がなければ絶対に叶わないと断言できるほどです。自分達の将来も含め信頼に足る葬儀社や人物を探す価値はあると思う。
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葬儀支援には2種類ある

文章等で伝えられる支援ならそれほど難しくはないが、個々の家族が事情、価値観、考え方が全て違うようにすべき支援内容も千差万別が現実です。それを可能にするのが最初に行う事前相談の2時間であり、支援をすべき家族が否かの判断をする場でもあります。
我想う支援日誌

温かい葬式を生み出す為に

温かい葬式を書面で伝えるのは至難の業と言えるほど難しい。その理由は内容が画一化されたりマニュアル化できないものだからです。個々の家族は百件あれば全て違い、人も違えば感性や価値観も全て違うし同じ人間でも状況が違えば違ってきます。そのひとつひとつを書面化するのは難しい・・・・
我想う支援日誌

温かく送る葬式マニュアルは作れない

直葬を当然のように行う葬儀支援、多くの人は葬式を軽く考えていると思うかもしれないが、実際は逆で葬式は人生の流れで迎える自然の摂理ではあるが、とても大事な時間だと思うから余裕が無くてもどうしたら温かく送れるか――、と損得抜きで自分達の全てを賭けて踏ん張ってるつもりです。
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病院毎に違うコロナ感染対策

面会できないのは何処の病院も一緒ですが、逝去直前や逝去後も院内では逢えない病院もあれば、逝去前だからと逢わせてくれる病院もある。心情的には逢わせてあげて欲しいとも思うが、客観的な意見で言うと家族親族と逢わせないのも院内感染を防ぐ手法のひとつ...
葬儀改革

3. 直葬系葬式が増加している理由「2」

直葬が増える事で葬式の在り方を考える時が来るだろう。業者の思惑で派手に成り過ぎて高額に成り過ぎた事が結果的にシンプルなものへの関心を強める事になった。また死後に騒がず存命中にお別れをするのが当然と考える時が来るだろう。
我想う支援日誌

3. 直葬系葬式が増加している理由「1」

簡単に言えば時代の流れでしかありません。日本人の8割が無信仰者と言われる時代、金は死後でなく生きてる時に使うべきものとの考え方も広まり、老人世帯が増え続け年金だけの生活では死後費用より残る家族の生活のほうが大事、この当り前の感覚に気付いたのだろう。
葬儀改革

執筆「葬儀改革」一部を紹介

序章であり結論でもある章と書いてる通り序章に凝縮した結論が書いてあり、これが葬儀支援センターの活動目的でもあります。葬式をとうしてほんの少し他人を思いやれる心、自分より弱い人達に対して優しくなれる世の中を取り戻して欲しいと思う。
我想う支援日誌

2021・合同盆法要が終了しました

葬儀支援とは葬式だけの問題ではありません。結婚式と違い人の死は後を引きますから、全国的に休暇となる盆法要、各年忌法要、永代供養墓、散骨場など全て自社所有しなければ葬儀支援とは呼べず全て可能になったのは法人設立から7年後でした。
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価値観の違い

良し悪しの問題でなく個々の素の価値観はとても大事だし大事にすべき部分だと思う。毎日の生活は何気ない日々の繰り返しなだけに素に近い自分でいられるか否かは後々大きな差がでる『本音で生きる事の気楽さ』を経験した人なら分るだろう。
我想う支援日誌

会員整理の期日が過ぎて

現在のあんしんサポートでは支援できない対象者となった会員さん達の整理に足掛け7年間をかけ、ようやく会員整理が完了しました。幸いなことに今回の実施で揉めた方は皆無でしたから葬儀支援の実態と在り方がある程度理解されているのでしょう。
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無信仰葬のメインは「お別れ」

信仰心のある人は信仰する宗教儀式を行えば良いが、無信仰者は宗教儀式をするほうが変だろ。しかし現在の日本は無信仰者のほうが多い現実、なら無信仰者用の葬式があって当然で今まで無かった事のほうが不思議だ。
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葬式の大別は『〇〇教葬』又は『無信仰葬』だろ

一般葬か家族葬かの選択をする前に信仰心の有無確認が先だろう。無信仰者に特定の信仰儀式を押し付ける現行のあり方は間違っている。信仰心のある人が他の信仰を押し付けられて納得する事はないだろう。それは無信仰者にとっても同じ事。
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夏場自宅で看取りの注意点

自宅での看取りを希望する家族は青枠、赤枠、緑枠、橙枠の内容を覚えておくのは必須です。2021年以降は青枠を理解してない病院もありますので要注意、市役所に提出しても書き直して貰ってくださいと突き返されるのが現実、また橙色枠も大切です
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悠々自適な生活は要らない(俺は)

人生、特にサラリーマンは我慢と忍耐の連続が普通だろう。引き換えに出社さえすれば給料が貰える特典がある。でも60代の定年後くらいは自分の人生を謳歌しても罰は当たらないだろう。但し定年後に考えたのでは間に合わない。50代に入ったら考え始めよう。
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なぜ葬儀支援に拘るの!?

結論から言うと葬儀屋ならとうの昔に辞めてるだろう。ましてや現状の葬儀屋の在り方に何の魅力も感じない。儲けしか考えてないのに表面だけを繕った言葉で騙す仕事に魅力はないし、やる気もない。言い換えればねそんな葬儀業界だから葬儀支援を続ける価値がある。