文章から受ける「人柄」イメージ

我想う支援日誌
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昨日2件の入会相談のうち後半の家族は片道1時間以上掛かる地域からの来館でもあり、最初の入会相談で千明が話し疲れた様子だったので久しぶりで「近々らしい家族」以外の入会相談をしました。

笑いながらの2時間の中で「ブログを拝見させて頂きましたが、もっと怖い印象の方だと思ってました」の言葉を聞き、前々回ブログの文章から受けるイメージと実際の違いを改めて思い出しました。ブログも長年書き続けると誰が書いても大差の無い無難な書き方になるのは僕も例外ではありません。

過去のメール経験から「一銭も要らないお葬式」と題した初めての執筆はB6サイズ180頁、文章の書き方や決まりで検索すると「です」「ます」調だとか、色々書いてありましたが、読んでくれた人の頭の中に画像として浮かび上がればサラッと読めると自分の経験則から考えました。

どうすれば画像として頭に浮かぶか!? と考えても執筆経験はなく形式ばった事は一切無視『普段の話し口調をそのまま文字』にしてはどうだろうと流れを大切にした事で5日間で書き上げました。

例えば「~を行っおこなたのではありませんか」と書けば普通の文章だけど普段そんな言い方はしません。群馬の男性なら「やったんじゃねぇ」が普通、ただ語尾に「?」で疑問文にはできても、語尾が上がってるか、下がってるかだけで印象は大きく違ってきます。

文才に乏しい僕がこの点をカバーするには状況描写やその場の雰囲気を書かないと、和やかなのか、厳かなのか、暗いのか、明るいのか読み手の感覚で全く違うものになるのは分ってたはずなのにブログを読んだ印象が「もっと怖い人かと思ってました」なのですから自分を表現するのは難しいです。

自分の印象を客観的に表現するのは難しいので、一緒に仕事をしてる千明やしてた息子の言葉を借りて言うと「綾小路きみまろさん」とダブル印象のようです。

お年寄りに「爺さん、婆さん」と言ったり、「両足棺に突っ込んでるんだから」など葬式の仕事をする人間ですから一歩間違えば気分を害し怒る人がいても不思議ではないのでしょうが、大半の人達は笑ってスルーしてくれ、その場が和やかな雰囲気になってくれます。

葬式の事前相談でありながら何度も笑うと家族が本音を口にする傾向が強くなったり、葬式への疑問や質問をする確率が高くなり、家族の聞きたい話題が中心となるのでどうしても時間が掛かる事になる。

2時間話したとすれば「葬式」の話しは10分ほど、あとは生前から死後の手続きが大半ですが1度目に話した内容を再確認される事も多く「だからメモしておけよ」と言っては全員で笑う――、みたいな時間だから2時間はアッという間です。

一昨日葬式した配偶者のお婆さんに故人通帳を確認させて貰うと引落しされてるであろう金額差引後は7万円弱、引き出し方を伝えても出来そうにないので通帳と下3桁が000になるよう小銭を預り69,000円引き出して残高0円にして現金と通帳を火葬中に渡しました。

「ほんとに面倒臭せぇ婆さんだなぁ」と悪たれを言いながら渡すと、その場の全員が大笑いしながら「ありがとね」と和やかな雰囲気は変わりません。

この傾向は事前相談で壁を取り去る事ができた家族は葬式や火葬まで一貫してますから、さすがの僕でも笑えない「死」以外は『和やかな空気の中で最後まで温かく送る葬式』を意識してきました。ってゆーか、これが素の僕に近いんだと思う。

葬式施行する側には「過去の慣習を大切にする人」「宗教者の指示に忠実に従う人」「社内の決まりを流れ作業で行う人」など様々な理念の人がおられるでしょう。

また僕のように残る家族の生活を最優先して費用は抑え、温かい場の空気造りを念頭に葬式後の家族が直面する課題を事前に伝えおくなど業界や宗教者の常識や概念等どうでも良いと考え葬儀支援を最優先し続ける人間もいます。

改めてそう考えると『葬儀支援が天職』というのも、まんざら戯言でも無さそうです。

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