16年前(2007年)に想定した2030年代の未来予想まで後7年となった今『当たらずしも遠からず』の確信を得るに至り、動くなら数年後では間に合わないと設立を急いだ2008年でした。
ところが業界内の反応は予想より鈍く『葬儀費用は更に高額化する』と言う業界人の感覚と宗教者に於いても『布施は上がり続ける』の言葉を聞き、余りに盲目で天然記念物的な思考回路を堂々と言える感性に呆れて言葉すら出なかったのを思い出します。
その意味でも凝り固まった固定概念を壊すだけで10年は掛かり、自分が生きてる間の改革は難しいかもしれない――、されど何もしなければ家族の葬式を引き金とした不幸や悲劇は無くならないと動いた。
その後、予想外のコロナ感染による10年の前倒しもあり、簡素化に向けた正道への急激な進化を見せるに至ってますから根本的な未来予測は間違って無かったと実感してます。下記未来予測は当時の僕から直接聞い方々も相当数おられるはずです。
ところが未来予想はしても「自身の老い」は考えもしない自分に『馬鹿なのか!?』と苦笑、誰が聞いてもお爺さんとしか思わない68才になってようやく『5年後の73才はまだしも、10年後の78才まで仮に生きてたとしても無理』と実感できるようになるほど鈍感です。
昨日安置したお婆さんの喪主は同級生らしく年金暮らし、一昨日の葬式で八王子から来られた方も同級生で年金暮らしと聞き、毎日バタバタしながら、夜中に「搬送です」の電話で起こされるような生活を続けてる自分を再認識させられます。
68才ともなれば仕事量を減らし俗にいう悠々自適な生活を送っておられる方もいるでしょうが、毎日のんびり自由な時間を過ごす生活と考えると『俺には無理』と明確な答えが浮かび、自分に合った生き方を例えるなら『老当益壮(老いて益々壮ん)』貧乏性とも言える性格のようです。
昨日の打合せでも父親と同じ年と聞いた娘さんが両者を比較して驚いてましたが、千明曰く「綾小路きみまろ」さんのような口調で笑わせながらも鋭い突っ込みを入れる話し方と、個々の家族事情に合せたアドバイスをする自分が嫌いではないのですから身体と頭が動くうちは変わることはないのでしょう。
と同時に糖尿病と脂肪肝の治療をしながら、時々物忘れの実感はあるものの普通に動ける身体と頭と心を維持していられるのは葬儀支援の道に入るきっかけとなった父親や天から『もう少し頑張れ』と言われてるかの如く感じる今日この頃です。
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