「今の幸せを自覚、全てはそこから始まる」

日々の「我想う」
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ちぎら
ちぎら

今回一連の話しで、再認識できましたが、いよいよ核心について改めて伺いたいと思います。それは『葬儀屋と葬儀支援の違い』で、一般の人達でも明確に分るような様々な部分での違いの比較詳細です。事前相談で初めて来られた人達の中にある疑問であり、知りたいことだと思います。以前はNPOでしたから何となく納得してた部分が多かったみたいですが――、

代表
代表

ん? それは考え方の部分? それとも内容、料金などハードの部分?

ちぎら
ちぎら

私もどう説明したら良いか分らないんですけど、葬儀屋さんとは違うって説明しても中には理解できない人もいて、ようは安い葬儀屋さんでしょ? って思ってる人もいる気がするんです。

代表
代表

どう思うか各自の勝手だし、どう思ったって良いんじゃないの? 結論を言えば、来る来ないは皆さんの勝手だし、受ける受けないは我々の勝手、関心の無い人は初めから来ないから問題ないし、入会相談に来られた人が我々の趣旨と違えば受けないから、結果は想定通りにしかならないでしょ。

ちぎら
ちぎら

そうなんですけど――、きっと心の何処かで頑張ってる自分達を理解して欲しいって思ってるんでしょうね。だから一般の葬儀屋さんと違うって主張する心が前面に顔を出すことがあるのかもなぁ・・・

代表
代表

気持ちは分るし、それが極々普通の感覚だし、僕の中にだって出たり、引っ込んだりを繰り返してるよ(笑)ただな、僕らは人に褒めて欲しくて始めたわけでもなく、誰かに頼まれて始めたわけでもないだろ。それと我々の努力は利用者には関係ないし、利用者は自分にメリットが有るか、無いかだけで判断して当然なんだよ。我々が消費者の立場で考えれば分るように、ラーメン食べれば旨くて安いが最大の基準で、そこに経営者の苦労や頑張りは加味されない。それと一緒だな。

ちぎら
ちぎら

そうですよねぇ、言われてみれば反論の余地はありません。時々、寺の布施は高くても仕方ないと言う人もいましたが、今は当方理念と合わないしので、菩提寺の葬式は受けませんってお断りしてるから、話しの段階では出ても、現実は無いですもんね。

代表
代表

そうだね、嫌なら受けなければ良いし、僕がしてる葬儀支援は利用者の為でもあるけど、突き詰めれば『自己満足』であり『自分の生き甲斐、遣り甲斐』と全ては自分の為だから、それを感謝しろ――、は変だろ。嫌なら止めりゃ良いだけの事。ただ我々が事業継続できるだけの利用者が存在する限り続けたいし、続けるにはどうすれば良いかの壁があるのは間違いないけど、焦っても仕方ないから、世代交代のチャンスが巡ってきたら逃がさない事だろうな。

ちぎら
ちぎら

そうですね、13年前までの自分を思い起こせば、人の半分も食べられないほど食が細く、体調も良くないし、仕事に生き甲斐を感じることもなく、子育てと生活の為に葬儀営業をしてた日々と比べたら、当時の数倍は食べるし、いつの間にか徐脈も無くなり、体調も良くなってるし、無休で24時間の仕事を嫌だと思った事もなく生き甲斐もあるし、私の人生の中で今ほど充実してる時はないのだから、そう考えれば幸せですよね。

代表
代表

だな、千明は僕以上に、あんしんサポートや利用した会員さん達に感謝しても良いかもな(笑)最後の部分は凄く大事だと思う。今の不平不満ばかりを言う人がいるけど、まず『今の幸せを肯定的に受け入れる事』その上で、改善や修整など更なる高みを目指すのが健全な思考の一歩となるだろうからな。心身の健康があれば勿論だし、心身の健康に支障があったとしても、戦争の無い、独裁でもない、自由もあるし、天災があれば助け合え、世界有数の高い民度と言われる日本で生きてるだけでも、世界的に見れば恵まれてるんじゃないかな。そこで人の為になり、人の役に立ちながら食えたら――。それだけで充分と思わないか?

ちぎら
ちぎら

はい、思います。

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