きっかけ
ホテル婚礼美粧・美容室の経営者(美容師ではありません)だった52才の9月、37年前(15才)で家業倒産した前夜に蒸発したままだった父親逝去の一報が、八王子裁判所から届いたのをきっかけに『葬式とはなんぞや!?』の思いが湧き、寺と葬儀屋に自ら足を運んで葬式の実態調査をした。
次いで葬式経験者からも多数話しを聞かせて貰うと、家族の悲しみに付け込み知識の無い人達を霊感商法と誘導商法、そして脅しで暴利を貪る葬儀屋と菩提寺の実態が明らかとなり、少額年金で暮らす老人世帯でも同様の実態に対し強い怒りが湧き上がったのが葬儀支援センターを開設する分岐点でした。
ただ葬儀屋に対する思いは「胡散臭い職業」のイメージが強く、葬儀屋だけは絶対にしないの思いが葬儀屋とは真反対の立場となる『葬儀支援センター』の設立になったのは間違いありません。
そもそも人間なら100%迎える終幕に対し高額な費用が掛かる意味も価値も理解できません。葬式費用の大半は葬儀屋と寺への謝礼であり使途は葬儀屋と僧侶の利益と生活費、葬式は葬儀屋と寺の利益の為ですか?
残る家族の生活に支障をきたす実態さえあり100万円以上の費用を掛ける必要があるのか!? 金が余ってる人、見栄っ張りな人なら構いませんが、終幕前は入院入所費用も掛かり、入院費の支払いさえ大変な家族はいくらでもいる訳ですから、その人達の選択肢が無い葬式の在り方は絶対に間違ってます。
絶対と断言するのは「死体遺棄」の法律があるから、金が無ければ火葬すらできません。それをすんなり解決してくれる周囲や親戚がいるとは限らず、行政は弱者に対する敷居は高いのが現実です。
僧侶と葬儀屋は弱者の味方ではありません
僧侶を始めとする宗教者は弱者の味方で、金が無くても面倒を看てくれる尊敬できる人達だと思ってましたが、少なくとも数十件の寺を周り聞いた話と檀家の評価は全く違うのが90%、今の寺は葬式坊主でしかないと知り幻滅、葬儀屋も同様で利用者の多くは悪口を言うけど葬儀屋は「喜ばれてる」と自称します。
葬儀屋は葬式代行業だと思ってましたが実態はイベント会社、注1無駄に豪華にして霊感商法を使い「供養」と紐づける姑息な商売、僧侶は「読経を唱え戒名を付けねばあの世で浮かばれない」と脅す始末、宗教観としては理解できますけど、対価として30万円~100万円は理解も納得もできません。
注1
・やたら長いリムジンで棺を運ぶ事に意味がありますか?
・1時間弱の葬式に数十万円の生花を飾る意味がありますか?
・燃やす棺が10万円、20万円の意味は?(最も当方2万円の棺が10万20万ですけど)
・3,000施行担当しましたが、これらの何処が供養なのかサッパリ分かりません
死後費用の心配をせず生きられる世の中であるべき
家業倒産経験者から言わせて貰うと、金がある時もあれば、無い時だったあるのが人生、入院費等の諸事情で金欠状態での逝去、下がり続ける年金、上がり続ける介護保険料で生活が苦しい人はいくらでもいる現実、そんな家族が葬式で100万円では、生きても、死んでも地獄です。
2008年6月、葬儀支援センター設立時から国保葬祭費5万円で骨壺に納まれたら一銭も無くても死ねるが最初の目標、3年後に完成してから17年目、全てオリジナルの支援プランを創り続けており、仏教葬の多い日本ですから、読経・居士大姉戒名付の注2家族葬17万円(税込)の最終目標も達成しました。
注2
葬儀屋と一桁違う1割価格で設定、葬儀屋では逆立ちしても出来ない料金設定は当方に協力してくれる住職さん達のお蔭で達成できたもの、税込17万円という半端な料金は直送プランの全国平均価格、更に30万円相当の供物が飾られた豪華な祭壇、使用する葬具は誰が見ても違和感なく追加不要です。
本当の葬儀支援は2名限定、誰が見ても支援と分かる内容、料金
当方支援内容を基準とすれば2名で無ければ実現しません。人数が3名以上に増えれば確実に料金に跳ね返り、1人では搬送時に家族が手伝う等、家族の手や手間を借りるしかないからです。
またお手伝いしてくれてる住職さん達が支援内容を肌で感じ、料金表を見て「代表これで利益はでるの?」と言われた時「出ないよ全て赤字だけど、余裕の無い家族も多いから値上げできないんだよ」の言葉をを聞き、「分かった、こういう場所は絶対必要だから、代表の所へ来る時は金額うんぬん言わないよ」が17万円家族葬実現の決定に繋がった言葉でした。
行けるところまで走り続ける
2024年11月が過ぎれば70才を迎える齢になり、体力的な限界も来るでしょうが、6年以上の間、広告宣伝はしておらず「菩提寺のある方、寺墓の方の入会できません」「非会員さんの依頼受けません」「一般葬は受けません」「横柄・傲慢な方の入会受けません」「お客様扱いしません」と公言し続けてます。
それでも5,000名以上の会員数は減らず、利用者からの紹介で増え続てる現状なのは、当方のような支援を望む人達が増え続けてるんだと思う。代表である僕が現場から離れても一緒に立ち上がった千明が健在のうちは続けられ、すでに最終目標も達成してるので20年くらいは何とかなるでしょう。
終わり良ければ全て良し
比較的波乱の人生でしたが、52才を機に「天職」と思われる葬儀支援を国内で初めて設立できた事で、老いて尚、生き甲斐の持てる日々を過ごさせて貰えてます。但し個人的には周囲に言われるような人助けの感覚はなく、単なる自己満足でしかないのは、誰でも受け入れない現実が物語ってます。
古希を迎える人達の中で「他人に頼られ」「日々生き甲斐を持って」「堂々と胸を張って」毎日が「あっ」という間に過ぎる幸せな人生の終盤を生きてる事がどれだけいるでしょうか、その対価として「年中無休」「24時間対応」「超低報酬」を払い続けるのは当然、それでも普通に食えてるから合格です。
人生が幸せであれ、不幸せであれ、全ては自分で創り出したもの、自分の価値観で幸せと感じ、生き甲斐の持てる人生は、自分で自分に合う道を切り開いた人にしか訪れません。動きもせず文句を言っても何一つ変わりません。人生を変えたいなら一歩を踏み出すこと、52才で人生を変えた経験者の言葉です。
代表著書
※一銭も要らないお葬式 2011年 完売
※葬儀とはになんぞや 2015年 完売
※葬儀改革 2018年 完売
※「高い葬式なんて要らんよ」 最下段に一部掲載、2024年著・残りわずか。送料込1,300円