家族親族の葬式で記憶にあるのは家業倒産後の祖父母からで正確に覚えてませんが家賃4,000円だか8,000円の4軒長屋平屋建ての公営住宅での葬式でした。
祖父は昭和55年1月、その3年前の4月に祖母、どちらも公営住宅で親族を除けば近所の人達だけに近い小さな葬式、叔父叔母が施主で倒産時に蒸発した祖父母の息子である僕の父親はいません。
昭和55年1月末、真冬なのに庭に面した部屋の小さな祭壇に向かって外で焼香する姿を見てると決して多く無い会葬者の言葉が耳に入って来る。
「現役の市場役員なら大きな葬式だったろうけどな・・・」
「倒産してから何年経ったかな」
「かれこれ10年は経つんじゃねぇか」
「あれほど繁盛してた店が倒産するとこれだもんな、恐いね」
葬式後は自宅で清め、酒が入ると父親の話しが出てくる。
「お前本当に親父の居場所知らねぇのか」
「うん」『何度聞けば気が済むんだよ!俺が知りてぇよ馬鹿』
父親の姉、叔母さん達は何も言わないが亭主は酒が入れば口にし何度も言われると腹は立つが、叔母さん達にも金銭面で迷惑を掛けたようで何も言えない。
『金が無い時の葬式をする家族の想い』『平気で家族を傷つける発言をする親戚』今にして思えば葬儀支援はこの経験が素になってるのだろう。
暴言も含め心無い言葉を当然の如く吐く輩はいるが、本気で家族の事を考えてくれる人はいなかったトラウマが俺を突き動かすのかもしれない。
だから利益を無視して、自分の時間や命を削ってまでも「家族が笑顔で送れる為に――」これだけの理由で動き続けられたのかもしれない。
きっかけはそうでも、幸いな事に葬儀支援は天職かと思えるほど適職で『楽しい』から続けてるだけの事、きっかけの想いだけで15年間は続かない。
だからスピリチュアル面を利用して高額な葬式に誘導する「霊感商法」や「嘘」や「騙し」は許せないし建前と本音が真逆の葬儀社内の実態は怒りさえ覚えた。
余談ですが、霊感商法、騙しの自覚すらない洗脳された葬儀社社員を見ると、怒りより可哀相になることすらある。
葬儀支援に対し『俺は本気らしい』と気付いたのは株式会社を閉鎖して全てスタッフに無償提供すれば、入会希望の人達と同じ目線で話せると思った時です。
半年掛りで法人閉鎖完了の翌日2012年11月1日引渡しが全て完了すると多くの人から「なんで!?」と言われましたが、美容師でも無く基本現場にも立たず有限会社に700万円の投資で株式に変更しただけで25年食えれば上出来でしょ。
それと20年以上頑張ってくれたスタッフへの恩返しと思えば、先々自分の心の傷にもならず退職金代わりだと思えば安いもんです。
引渡し完了まで家族も含め部外者に口外しなかったのも本気だったからでしょう。
凡人でも成功する経営手法
自分が凡人なのは20代で気付き、偶然ですが凡人でも可能な経営手法にも気付いた。それが『我が店はお客様の為にあり』の考え方です。
人はスーパーでも、衣料品でも、美容室でも、必ず行きつけの店があり、理由は『他に行くより、その店に行くほうが自分が得するから』だと分った。
店は『お客が喜ぶ所』『行きたくなる所』にすれば良い訳ですから、店側の都合や利益よりお客優先が『我が店はお客様の為にあり』です。
この考え方は美容室でも葬儀支援でも徹底した結果、美容室は地域で有名になり2時間待ちが普通なほど繁盛したし、儲けが極端に少ない葬儀支援でも普通に食える結果で分るでしょう。
凡人は覚悟も必要
残念ながら上記の考え方だけ成功できるほど世の中甘くはありません。何といっても根が凡人なのですから『覚悟』が必要です。
ところが凡人の僕は覚悟すらまともに出来ません。そこで渡った船は燃やして『勝利』か『全滅』の二択なら死に物狂いで戦うしかありません。
黒字営業中の法人を躊躇なく閉鎖してまで葬儀支援に集中した現実は周知のところ、今考えても本気の覚悟だったのは間違いありません。
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