家族の死後から何十年と経った今2つの後悔がある
葬儀支援の道を歩き数百件、1,000件、2,000件と施行を担当して家族と膝を交えて、話してきた中には後悔の念を語る人もいれば、後悔は無いと言い切る人もいて、自分の過去を振り返ると家族の「死」で後悔が2つある事に気付かされましたが、どちらも生前や存命中で無ければ成し得ない事です。
後悔しない方法を教えてくれる会員さん達
少数ですがお迎えに行き安置後に話すと『できる事はしました後悔はありません』とキッパリ言う家族がいて話しを聞くと自分のできる事を数年~やり続けてきた人達限定『俺には出来ないなぁ』と思うし『凄いなぁ』と感心させられます。
配偶者でも親でも、動けるうちは僕でも何とかなりそうだけど、要介護状態からの生活は聞いてるだけで大変――、相手は生きており昼夜が逆転する対象者も多いようで24時間の介護を何年も続けるのは、決して容易なことでないのは分るし自分の神経が壊れそうになる事もあるようです。
「対象者の首に手を掛けた事もある」と言う人達も多いのが現実、それでも思い留まっての今があり「後悔は無い」と言えるのは素晴らしい事、もし掛けた手に力を入れてたら後悔を背負って生きることになるはずです――、
それでも踏ん張り続けた人達だから「後悔はない」と言い切れるのだから尊敬します。と同時に介護もそうだけど厳密に言うと対象者が心を開いてくれるのは日々面倒看てくれてる人だからのようで突然介護しようと思っても対象者が受け入れてくれるとは限らないらしく「代打」は効かないようです。
残るのは葬儀社の言う後悔ではない
不思議なのは葬儀社の書いたものだけに『家族葬で後悔した――』『直葬で後悔した――』と言った内容を良く見掛けるが、仮にあったとしても後悔の質としては小さくいつまでも心に残るものではない。
その点で後悔するような人は打合せの時点で変更するし、普通の葬儀社は家族葬と一般葬の選択なら一般葬を勧めるから、そんな後悔が残るなどあり得ない。
あるとすれば「依頼した葬儀社の料金が高過ぎる」と「布施が高過ぎる」の後悔のほうが多いのは間違い無いけど、これは後悔というより「失敗」であり、直葬、家族葬の選択も同様です。依って家族葬や直葬を回避させる為の誘導商法に過ぎない。
後悔とは、取り返しのつかない事――、
死んだ後で騒いでも後悔が無くなる事はないと断言します。全ては対象者が生存中、それも寝たきりになる前に気付かなければ後悔になるんだと思う。
葬儀支援内容は全て利用した家族達に教えられた事
あんしんサポートの支援内容は既存に無かった事が多く、特殊な能力と言われますが、実際は全て利用した家族達が態度や言葉や希望や疑問で教えてくれた事を形にしたに過ぎません。
後悔については僕自身の中にある2つの後悔を伝える事で皆さんは後悔せず済む方法を考えてくれたら良いと思うだけで、自分の失敗が後進に活きるなら僕の失敗も無駄になりません。
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