内心では、ホッとする葬式もあるんです

日々の「我想う」
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個人の時は違いますが、あんしんサポート代表として発言する場合の殆どは『本音』建前や社交辞令も言わないのが普通、しかし唯一建前から入るのが『逝去直後の心境や思い』に対してです。 

これは過去の経験から、仕事を辞めて四六時中対象者の面倒を看てきた息子でも、母親が亡くなった時、一晩中泣いて自分の不行届きを悔いてた人がいました。「それ以上なんて無理だろ・・・」でも、そんな息子もいるんです。

だから、話しの中で少しづつ胸の奥にある本音を引き出します。大抵の場合「僕なら――」と例えれば相手の気分を慨すことなく、「自分は――、」と同調、もしくは反論されるところから始まります。多分、葬儀屋さんは上記息子の感覚を前面に押し出した話しを進めるはずです。その理由は2つあります。

1. 周囲の家族親族から反発されることは絶対にありません
2. そのまま話しが進めば、間違いなく料金追加が容易たやすくなります

葬儀屋は利益追求が目的ですから当然の流れで、これは葬儀屋に限らず、利益目的の商売なら業界問わず当り前のことと認識されるはずです。強欲で自分の事しか考えない担当者なら、これ幸いと儲けられるだけ儲けようと調子に乗るでしょうが、能力の高い営業なら適度に抑え、良い人を演じ次の紹介に結びつけることでしょう。前者の担当に当たった家族は交通事故のようなものアンラッキーです。

難しいのは『内心、ホッとしてる家族への対応』です。さすがの僕でも、それを口にすることはありませんが、それを察知し、確信が持てたら、そこからが葬儀支援の本領発揮です。僕の言う葬儀支援とは『残る家族の生活が守れる葬式を企画、立案、施行すること』ですから、周囲から家族が悪者扱いされず自然の流れで費用を抑えたり、無理をさせない葬式に導くことです。

99%の葬式は打合せで外堀から埋め、無理の無い葬式が当り前の結論に到達するので問題ありませんが、極々稀に反論する故人の兄弟姉妹もいます。そんな時は一旦家族を蚊帳の外に逃がし、親族 vs 僕の構図を作りだす事になります。具体的にはこう言います。
「なら聞くけど、この家族が生活に困ったら助けるんだな!?」
こう言われて「はい」「当然です」と言った家族は皆無、ほぼ100%「それは・・」と口を濁しますから、
「なら、みっともないから黙ってたほうが良いよ」と終止、若干上から目線で対応します。

その理由は、下からお願いだと中々折れてくれない人もいるからで、後で僕の悪口を言ったり、2度と頼まねぇと思われても構わないからです。この先顔を合わせることが無くても何の問題もありません。ただ家族はこれからも付き合う必要があるでしょうから、喧嘩をさせるわけにはいきません。但しひとつ断言しておくと、この親戚とは付き合わなくなるはずです。

前置きが長くなりました『内心では、ホッとする葬式もあるんです』についてです。今あんしん館には生後1才くらいから後天的障害を持って20数年間生きてこられた故人がいます。1才からの障害ですから話しも出来ず、満足に歩けもせず、24時間体制の介護が必要だったはずです。母子家庭で自宅介護では生活が成り立ちませんから、施設で過ごした年数は長いでしょう。

母親に直接聞いてませんが、もし僕が母親の立場なら、どう考えてきただろうと予測すると『自分が死んだら、この子はどうなるのだろう・・・』という不安が最初です。死んでも死にきれない――、とも思うでしょう。かといって子供を連れての無理心中――、親として気持ちは理解できますが、子供が特別な障害が無かったら間違ってると思いますし、障害があったとしても肯定できない自分がいます。

自分が動けるうちに終幕を迎えてくれた――、勿論、悲しいでしょう。普通に育ててあげられなかった事への無念と謝罪の気持ちもあるでしょう。でも心の何処かで『ホッ』としているのも事実だろうと思う。勿論、母親からそんな言葉は一切ではないし、聞く事もありませんが、今、我々ができることは、財布も含め無理をさせず、最後のお別れをゆっくりさせてあげて、息子さんの弔いが済んだら、今まで叶わなかった自分の人生を精一杯楽しみ、謳歌する人生にして欲しいと思います。「お母さん、長年お疲れ様でした。これからは、人生を自分のために生きてください」

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