先日隣接市の斎場で火葬、遠方の家族で初めての葬式と依頼施設から聞いたので、後日の死後の各種手続き、遺骨処理等を午前中一杯使って書面にして可視化、火葬時間90分をフルに使って説明、初めは少し反抗的にも見える態度でしたが、途中から低姿勢になり素直に聞きましたので帰りは最寄りの駅まで送って行きました。
この部分は全て無料、多くの葬儀屋なら最後まで出ない話題、事務所に戻る車内でドッと疲れを感じながら『何で俺は一銭にも成らない事までするんだろう?』と考えると、ある答えに辿り着きました。
自己満足
直接確認してませんが「通学路で誘導してる老人」「無償・超低報酬で地域の人達の世話をする自治会役員・民生委員」なども「自己満足」なのでは? 僕の行動も突き詰めると自己満足で詳細を述べると『嫌いな職業を自己納得させる為』と『自己満足』の2つが思い浮かびます。
我が自己満足を知れば道に迷わない
自己満足の基準の人それぞれ『お金(金銭面の豊かさ)』『名誉(役職・肩書)』を求める人が一番多いけど、僕自身で言うと年収1,200万円、代表取締役の肩書き、いずれも自己満足は無く20年弱の経営者人生は楽しくもなく、生き甲斐も持てないまま50才を過ぎていました。
52才の時、父親逝去の一報が八王子裁判所から届くと、僕の意思を無視した強烈な流れで気付けば葬儀支援の道に辿り着いてたのですから、未だに不思議な時間だったとしか思えません。
最初は嫌々でしたが葬儀屋と思われたくない一心と未来予測から導いた支援の創作を続けると、そこには子供の頃から持つ資質にピタッと当て嵌まる『自己満足』があった。過去の自己満足例は・・・・
嫁さんとは16才からの付き合いですが、身体の弱かった嫁さんの母親はいつも一人で自宅にいましたから、車のデートになってからは後部座席は空いてるので「一緒に行く!?」と乗せて行くと嫁さん以上に喜んでくれるから、2人だけのデートは殆ど記憶が無いと、今以て嫁さんにいわれます。
22才で結婚、公営住宅に18年住んでましたが、元旦は嫁さんの両親と弟達を呼び、重箱おせちを自分で造って正月を祝うのが恒例、みんなが喜ぶ顔を見て納得、今は千明家のおせちも造り48年間造り続けてますが、おせちを造ってから千明の家族も全員集まるようになりました。
散骨に行く度、千明の母親を乗せてランチに行き毎回80%は何度も聞いた話しを初めてのように聞くと元気になってくれますから、家族限定ではないようですから会員さん家族にも同様なのでしょう。
サラリーマン時代は美容室の経営指導に入ってた数十件で毎日夜中まで打合せ、午前0時帰宅なら早い日々を送ってましたが、経営者の方々が午後7時以降の日程を競うように予約、会議、講習会を依頼され、頼られる事に喜びを感じてましたから経営者時代より楽しかったです。
どれも対価は無く「自己満足」だけですが誰にでも出来るわけでなく嫌いな人は無理、報酬、利益を得ないから得られる快感、満足感なのでしょう。そんな天職に導いてくれたのは父親のようです。
嫌いな道の横に天職があった
「好きこそ物の上手なれ」確かに、、、ただ「嫌いな道の横に天職があった」が僕のケースですから、好きだから、嫌いだからの判断より流れに身を任せてみたほうが良いかもしれません。
最初は好感を持てた人が嫌な奴になったり、初めは最悪な印象だった人が親友や恋人になる事があるのと一緒で「馬には乗ってみよ人には添うてみよ」ですかね。但し、僕の個人的意見でしかありませんけど頑張って生きる必要はなくストレスの溜まらない日々を生きるべきです。
ついでに言うと、家族も含めどんなに親しい間柄でも他人の基準は貴方の基準ではありません。また「自己満足が基準で良い」とは自分以外の他人に迷惑を掛けないが大前提を忘れてはいけません。
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