信念は結果論

我想う支援日誌
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今なら言えること

2008年NPO法人設立から数年間はさしたる実績もなく、世間からの認知度も低く、葬儀屋と寺の悪口を言う変な奴が現れたと感じたのか、住職と名乗る人、明言はしませんが明らかに葬儀屋からの誹謗中傷は何度となくありましたが、自分の発言に自信はあったけど今は反撃の時にあらずの姿勢でした。

残る家族の生活が守れる葬式をすべきと提唱する当支援センターの主張に耳が痛い、余計なことを言うとかんさわる人達から、それも堂々とした主張でなく無記名発言の卑怯な誹謗中傷は、投稿者にとって痛い所を突かれ的を得た内容の公言であったのを再確認されて貰えるものでした。

ただブログのコメントは残りますから、黙ってるだけでは誤解を招く可能性もあるので、その手のコメントに対しては次のような返信をしておきました。

返信して来たら、双方の主張を公開して読者の人達の意見を聞ければ、どんな人達が、どのような返答をされるか、とても参考になると思ってましたが、残念ながら誰からも返信はありませんでした。

常識を変化させるには「運」もいる

幸いな事に設立から3年後5万円直葬プランが完成すると、新聞記事、NHK全国放送など周囲に知って貰う機会も増え会員数は毎月数十人づつ増加、施行数も倍々ゲームのように増え、葬儀屋の常識ではあり得ない公言が戯言ではないと理解されるようになりました。

施行数は7年間倍々と増え続け、会員数も5,000名を超え群馬県内では、ある程度知られる存在となったものの、国内視野では誰も知らないレベル、このままで2030年までに『直葬も当然と認識する世の中には成り得ません』数々の目標は達成は出来ても、最終の「目的達成」は至難のわざと感じてた頃です。

最初の目標5万円直葬プラン、続いて直葬+散骨プラン・完全委託プラン・そして2020年末には最終目標となる17万円家族葬プランは、前段となる家族葬23万円+宗教者7万円(読経・居士大姉戒名)プランまで到達、しかし支援が最も必要なのは経済的弱者(入院、入所、死後費用等)に不安を抱える人達です。

経済的な事情で直葬しかできない家族は思ってる以上に存在しますが、金も出さず言いたい放題の無責任な親戚も多い事から、残る家族の生活を崩壊する現実は何度となく経験しており『直葬は無信仰者なら普通の葬式』が全国の共通認識に成らなければどんなプランを創り出したところで絵に描いた餅です。

2008年に立ち上がって12年、目標達成期限まで残り10年となった2020年3月29日、タレントの志村けんさんがコロナ感染逝去から、国内でも一気に騒がれてからの3年間は誰もが知る大変な期間でしたが、10年前倒しで直葬が市民権を得られた事だけが唯一近未来に価値あるメリットでした。

この現象は偶然であり単なる「運」ですが、経験則から言わせて貰うと何事も実力だけでは成し得ず「運」も必要なのは確か、だから『運も実力のうち』と言われるのでしょうけど、先人は無く暗中模索で葬儀支援の道を切り拓く過程に於いても「運」だけは強いのかもしれません。

信念は結果論かも・・・

我が人生を振り返ると信念と呼べる経験は葬儀支援が初めて、かつての社長時代にも経験してません。ただ「信念」は文字や辞書から受けるイメージほど難しいものでなく、目的達成に向けた、小さな目標を次から次へと猪突猛進の如く達成し続ければ経験できるもので信念とは結果論のようです。

周囲から意思が強い、ブレない、凄い信念と言われますが、次々に現れる目標達成に全力投球してたら、住職さん達の協力必須の為、完成しない可能性が高かった最終目標プラン『読経・居士大姉戒名付家族葬17万円(154,546円+税15,454円)』もあっけなくクリアしてました。

これに似た印象が過去に1度、群馬県には全県民が44枚の札を全て暗記してるほど認知されてる上毛カルタの県大会での3位内入賞4回、優勝は1回だけでしたが自分達が速いと思った事はなく周囲が遅いという印象、なんて表現すれば理解して貰えるか分かりませんけどゾーンに入ってるという感じでしょうか。

周囲の雑音は耳に入らず、成すべき事は次から次と浮かび、何をすべきか画像で浮かび、実際もその通りに事が運ぶから、頑張った、辛い、苦難等の「負」のイメージは全くなく、以前ブログにも書いた事があるように、夜中に起こされ片道2時間の搬送に向かってる途中で『幸福感』さえ感じるのです。

普通に考えて熟睡してる夜中に起こされて2時間も運転して戻れば朝になってる搬送の何処が『幸福感!?』と自分でも思うのですが、搬送途中で何度か口にもしてますから千明は聞いてます。不思議です・・・

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