葬儀支援は、シンプル・イズ・ベストから始まった

日々の「我想う」
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13年前、父親逝去の一報から『余裕の無い家では、葬式が家族の生活を壊す現実に疑問を持った』ど素人ながら立ち上がった当時は、葬式に必要な葬式用品を全てを備えたパックを作り、どうすれば低料金化が図れるかと考えてた時期もありましたが、今にして思えば既成概念から脱皮できない発想だから、何も分からない、何も知らないから、決まりがあると思っちゃう素人感覚そのものでした。

改めて「葬式ってなんだ?」と考えた時、この世に生を受けた人間は誰でも必ず終幕を迎え、老衰もあれば、事故死、病死と人生の閉じ方は様々だけど、自ら命を絶つ以外は全て寿命なんだと思った。だとすれば、人の死は特別なものでなく、自然の摂理なのだから大々的に騒ぐ必要はなく、最小単位である家族を中心に、日頃から深い親交のあった人達だけで、温かく送るのが本来の葬式に思えた。

葬式を施行する側になってみると、当然、冷静沈着なわけで、騒ぎ立てる親戚、この地域の決まりという隣保、俺が教えてやると意気揚々とするジジイ、どれも滑稽にしか見えなかった。葬式はもっとシンプルなもので『義理の会葬』『世間体』『見栄』など全く意味が無いと感じたし、馬鹿らしいとさえ思ったのが12年前に行っていた葬式の実態でした。

騒いでる親戚を横目に家族を見ると、本来なら主役であるはずなのに困惑する人達ばかりで、普段は顔すら出した事の無い親戚が主導権を持つ――、こんな意味不明な現実ばかりを見せられた。さらに逝去した故人の気持ちになって考えると、葬式の規模や人数より『あとに残った家族が笑顔で生きてくれる事』が一番気掛かりじゃねぇかと思えたが、現実は真逆のことばかりするのが葬式と分った。

また普段から信仰心など無いのに仏式の葬式をする――、この点はいまだ理解も納得もできてない。菩提寺がある人達でさえ仏教を信仰しているとは言わないし、布施(ほどこし)と呼ぶには余りにも高額で、謝礼の範囲を遥かに超えた金額を要求して当然と考える人間が宗教者!? 全く無信仰者の僕が率いる葬儀支援センターでさえ、最低限の料金で、高品質な葬式を提供しているのに、余りにも物欲が強すぎる僧侶が宗教者とは到底思えないし「俺のほうが宗教者らしくねぇか!?」が本音だ。

葬式に限らず、結婚式でも、人付き合いでも、商売でも、何事に於いても突き詰めると凝ったものでなく『シンプル・イズ・ベスト』と思えてくるから不思議だ。例えば5月から作り始めたホームページで言えば、あっちに行ったり、こっちに飛んだりせず、1ページで作り上げるのが見る側にとって最も見やすく分かり易いホームページなのは間違いない。

『金銭的に余裕の無い家族が望む葬式ってなんだろう』

と考えた時、答えは明瞭で『最低限の品揃えで、最低限の料金』ようは、最低いくら掛るのかです。だから葬儀支援は「最低限の料金」で「追加不要」で「誰が見ても違和感の無い葬式」をするです。他にも「花」が欲しい「遺影」が欲しいと思う家族は、追加すりゃ良いだけの事、シンプルとは利用する家族ばかりでなく、施行する我々に対しても同じで、嫌な人の仕事なんてしたく無いでしょ!?我が侭で横柄な人の依頼なんて受けたくないでしょ!?それに嫌々やる仕事なんて精神的に悪い、だから受けたくない人達を明確にして記載しておけば、そんな感じの人は互いに無駄な時間を使わず済み気持ちの入る葬式だけで良いから、身体は疲れても精神的には疲れないで済む訳です。

こんな風に書くと「そんな事してたら依頼が来なくなっちゃう」と言った葬儀屋は何人もいますが、なら聞くけど「あんしんサポートより依頼数は多いんですか!?」うちのほうが施行数のほうが多いとしたら、言ってる事と矛盾していませんか? 断らなくても、断っているほうが依頼が多いのは、もっと根本的な部分に利用者から見て魅力が無いか、全面信頼できない何かあると気づかなければ、どんなに強欲に頑張っても依頼数が増えることは無いだろう。

僕は葬儀支援を行うのが目的だから、そこだけ見て走り続けていますが、走る気力が湧かない人なら依頼は受けないし、その人にとっても葬儀屋に依頼したほうがいい葬式ができると思う。もともとが金儲けの発想ではないから、儲けが目的じゃないのが言動で分るんじゃないかなぁ。葬儀支援という目的に対しシンプルに考え、利用する家族の本音に対してもシンプルに企画、立案、施行を続けての13年間、とりあえず事業継続してるんだから、発想は間違いじゃないんだと思う。

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