たら、れば、は後悔の種

我想う支援日誌
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後悔製造語「たら」「れば」

「こうしてたら」「あれさえあれば」よく耳にする代表的な言葉ですが、この言葉を発してる限り後悔が無くなる事は絶対と言えるほどありません。

気付いたのは父親の終幕を聞かせた貰った時、家族を捨て一人で蒸発した弱い父親でしたが、終幕期を話してくれた方には後悔より達成感のようなものが強くある印象、終幕期は理想的な最後と感じると同時に自分の中で眠ってた祖父母と姉に対する後悔が目を覚ました。

「もっと祖父母に優しくしてたら」「姉に余命を伝えておけば」「母親と妹の判断を聞き入れなければ」たら、ればを使うのは全て過去の話、大小問わず後悔の念から出る言葉です。

「たら」「れば」を使わない生き方

なら後悔をしない判断をすれば良い!?「いいえ」そんな事が出来る人間はいません。少なくとも僕には無理ですから「たら・れば」が頭に浮かんだら失敗と認識して素直に受け入れ、判断を誤った分岐点を明確にし、どう考えるべきだったかと多角的な視点から想定します。

これに最適なのが僕の場合「朝シャワー・通勤時間」だから毎日のルーティーンになったんだと思うけど、10分のシャワーで「お題」は決まり、通勤20分であらすじにまとめ、事務所でブログやメモ保存してます。

失敗を受け入れる発想はゴルフ、前職の店長と行った時、1打目を曲げて林の中に打ち込んだので「出すだけだな」と言ったら「上手くあの木の間に打てればグリーンに乗りますよ」と言ったのを聞き「それが打てるレベルなら林に打ち込んでないよ」と言ったのがきっかけでした。

自分のミスは取り返すより受け入れる事、予定より1打付加してホールアウトする計画に変更すれば傷は浅く、林の中に打ち込んだ原因を改善させる練習をして次回に挑めば好結果に繋がり易くなります。

失敗は修整すれば成功になる

無謀でない限り失敗を恐れてたら何もできません。最も僕が目指した目標は無謀と言われましたけど、それでも3年後に完成できました。此処で注視して欲しいのは『完成に3年要した』という点です。

国保からの葬祭費5万円だけで骨壺に納まれば死後費用の心配をしながら生きなくて良い、エジソンのような発明するわけでも無いのに3年間の暗中模索と試行錯誤を繰り返したのは、僕の能力の低さだけではないでしょう。何かを成し遂げようとしたら相応の時間が掛かる。正に『石の上にも三年』でした。

目標設定は下げない妥協しない

5万円火葬の実現は単に安い直葬を創ることが目的でなく、利用した人達に「安いから仕方ないよね」と思われる内容では意味がなく、家族が本音で満足できる内容の実現だけ考えました。

ハードルを上げれば安っぽい支援内容にならず「たら」「れば」が出るとしたら目標達成出来なかった場合限定、そもそも葬儀支援は存在してませんでしたから、例え完成しなくても世間に影響はなく、言い訳をする必要すらなく、僕と千明が無駄な時間を過ごすだけです。

泊まり研修に来た人達を引き止めなかった理由

全国から数百名が参加してくれた東京での葬儀支援講演会、聴講者の希望で実施した1週間の泊まり込み研修をして地元に戻ると、声を揃えて「5万円では赤字で実現できません」と伝えてきましたが、引き止める事はなく、助言することさえありませんでした。

「一銭も要らない葬式」だから支援センターと謳える訳で、利益が出ないから出来ないと考える程度の人達では、これから進むべき支援内容など到底できない、すでに実施してる僕も赤字は同様、心構えとして目標達成するには、どうすれば良いかと考えられる人間で無ければ続かないからです。

黒字だったら、教えてくれたら、資金があれば、人材がいれば、場所があれば、この発想をする人で成功は難しく、潜在意識は何もせず変わる事はありません。潜在意識(無意識)を急激に変える事はできませんから日々前向き思考に自己洗脳し続けることです。

悲観的思考~前向き思考へ、後悔する人生~満足な人生、少なくとも納得できる人生は、日々の言動が自然に前向き思考になるよう潜在意識に働きかければ良く、僕の場合はシャワーと通勤時間、自分なりに日々行うルーティーンを創られたら如何でしょうか!?

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