祖父、祖母、姉、母親、家族の葬式で見て来た葬儀屋には胡散臭い印象しかなく、葬儀業界で生きて17年が経過した今は以前より強くなってるから葬儀屋の商法が根っから嫌いなんだと思う。
そうで無かったら忌み嫌う気持ちも薄れ葬儀業界に馴染たんだろうけど、葬儀屋が嫌で思いついた「葬儀支援センター」への道、とにかく既存の葬儀屋には成らない、葬儀屋と思われたくない、それには誰が見ても葬儀屋では無いと思われる葬儀支援を完成させるしかない。
設立当初は業界の実態や詳細も分かりませんでしたから、まずは僕の考える『近未来予測』から始め『葬儀業界の実態』は施行しながら時間を掛けて確認することにしました。
誰もが死後費用の心配をせず生きられる世の中であるべき
まずは未来予測、、、団塊世代が80代の終幕期を迎える2030年代を想定すると、年金は減り続け、介護保険と医療費は上がり続け、老人世帯は配偶者逝去の瞬間から独居老人となり孤独死も増える。
2030年までに葬式代を心配せず生きられる世の中にしておかないと、年金生活の老人は大変なことになる時代が来ることだけは分かったので、誰でも利用できる超低料金で火葬だけの葬式を創り、火葬だけの葬式も当然と考える世の中に成ってなければ意味がない、、、
ようするに『お金が無い人でも、せめて死後費用の心配をする事なく生きられる世の中にすれば良い』、国民健康保険から支給される5万円だけで骨壺に納まれる葬式を創り出すのが先決と考えましたが、現実は思ってた以上に大変で、どう頑張っても利益の出る設定は不可能でした。
幸いな事に美容業を経営してたので葬儀支援から報酬が無くても良いこと、事務所も含めた経費の出費はありませんでしたが、千明は手弁当の無報酬に近い状態でも3年間も耐えてくれました(携帯・自動車と燃料などは全て会社負担・途中から少額支給しましたけど、、)
経営が成り立ったのは4年目あんしん館開設後でしたから、人件費すら計上できない「5万円火葬支援パック」完成までに3年間を要したのに諦めなかった理由、正確には分かりませんが2つの理由からだと思う。
ひとつは3年間踏ん張ってきた千明に報いる為、そして堂々と葬儀支援センターと名乗れる自信になるのが5万円火葬支援パック他の完成だと思ったからだと思う。
以上がNPO法人設立1年後までに立てた目標と希望、業界調査は最初から県内全域を対象とした事から、県内数カ所に施行依頼する葬儀屋さんを設定した事から比較的早い段階で分かった。依頼先は比較的、家族の事を考える人達でしたが同業者同士の話しを聞いてると予想を上回る胡散臭さでした。
驚いたのは住職と呼ばれる人達の多くも人として???と思う人のほうが多く、供養は「金」でもなく「金額の大小」であるはずもないが、自分で「布施はお気持ちですから」と言っておきながら、寺で決めた額より少ないと供養の心が足らないと言える神経は理解できない。
余裕の無い家族に対しても30万円、50万円の布施を当然の如く偉そうに要求する姿には腹が立つし「金が無いって言うから5万円で読経してやった」の言葉にも腹が立った。なら「搬送」「ドライ」「棺一式」「骨壺一式」「届出」「人件費」と原価の掛かる直葬を5万円で施工してる我々は!?
でも住職達の恩を着せるような上から目線を何度も見られた事で『見返りを求めたり、恩を売るくらいなら、最初から受けたりやるべきではない』と教えられた気がする。
その後、葬式後は使わない祭壇供物に数十万円、1時間の葬式に生花数十万円、お清めと称する高額な料理と宴会、それ以外にも僕には納得のできない事ばかりなのに、葬儀業界の人は「供養」の言葉で金を使わせ、住職も自分が貰う高額な布施を「供養」と言うのも理解できない。
葬儀業界で生きながら、何年経っても馴染めないから、葬儀屋には成れませんが、葬儀屋には見えない家族の目線で考え続けられたから、当初想定した以上に家族目線の葬儀支援センターに成れたようです。普通なら「夢」を求めて叶えるのに「反発心」から得られる生き甲斐もあるようです。
コメント