
皆さん、あけましておめでとうございます。またひとつ年をとりましたが、今年から「年を取る(引く))と考えることにしました。数年後には40代です(笑)

はぃはぃ・・・
まさかそれが今日の話題じゃないよね?

はい、すみません。(^-^; でもこれが多くの中年以降の女性心理だと思います。
年末の家族は信仰の有無があったし、3日の葬式はカトリックとエホバの人達が混在した日系ペルー人の人達、4日搬送も信仰を持つ人、持たない人が混在する家族と家族間で信仰の有無があるケースが多いですけど、代表の対応を見ていると和洋折衷というか、全ての人達が納得する方法を即座に提案するじゃないですか、いつも凄いなぁって感心させられますけど、自分なら出来るだろうかと考えると不安になります。

で、どうしろと?

異宗教の人同士を納得させるって難しいじゃないですかぁ、代表の基本的な考え方や優先順位みたいなものを教えて貰えたらと思うんですけど・・・

あぁー、そんなことか、なら簡単だよ。嘘を言わない、適当に話しを合わせない、家族、それも故人と一番繋がりの深い人と支払いする人を中心に考えるだけ。あとは僕が無信仰者だから、どんな宗教でも色メガネで見る偏見が無いのも大きいだろうな。

適当に話しを合わせないとか、無信仰者だから偏見が無いとは? もう少し噛み砕いて貰えますか?

いくつか説明する必要があるから、ちと長くなるけど、まず大前提として
『葬儀葬式は家族との別れの時間』
・この考え方だけが全人類、全宗教で唯一共通認識できるものである
・よって、宗教儀式より先に考慮すべきことである
・その理由は、宗教が誕生する前に人の死は存在してるからである

『本当の無信仰者なら犯罪は別として、どんな宗教でも偏見はない』
・他信仰をと邪教だと称するのは客観的に見れば自己中心の偏見でしかない
・無信仰とは宗教を否定することではな。それも偏見でしかない
・仏教は線香、神道は榊、カトリックは献花、エホバは何もしないけど、どれも一緒
・この感覚が全ての宗教を同一線上で見られ偏見の無い対応の基になる。

『家族全員同じ信仰以外は、ごちゃまぜのほうがいい』
・家族全員同じ信仰なら、信仰する宗教儀式で当たり前(家族以外は無視していい)
・仮に家族が3つの信仰なら、それぞれを取り入れる事だけが妥協案に成り得る

『極論を言えば』
・仏式祭壇前の安置(ペルー家族に部屋と式場を聞いたら仏式祭壇前を選択した)
・湯かん納棺儀(仏式)
・二礼に拍手一礼の忍び手で榊を供える(神道)
・線香を供える(仏式)
・棺に生花を入れる(カトリック、プロテスタント等)
・読経、祝詞、お祈り、どれをしても家族が納得すれば問題ない
・拾骨する人、拾骨しない人に分かれても問題ない
・納骨、散骨、手元供養どれでも問題ない
※上記の全てを行う葬式でも全く問題ない(家族が納得さえすればいい)

改めて文字で見ると「ごちゃまぜ感」が強烈ですけど、過去の施行を思い出すと、全てはありませんが、いくつかを行った葬式はありますね。神道で当たり前のように線香を供える地域の家族も結構いますからね。

うん、そうだな。宗教感覚で言うと変だけど、その人達にとっては当然のことだからな。葬式は故人の為と言いつつ、家族の心を癒す為のもの――、大事なのは決まり事や儀式でなく『心』なんだよ。それは家族だけでなく、来てくれた人達にも言えることだから、家族が了解すれば何をしても問題はないし、そこに集う人達全員が信仰は違えど、故人を温かく送る心は共有できる。

なるほどぉ、代表の考え方は分ってるつもりでしたが、言われてみれば全て納得です。家族中心で集まってくれた人達の事も考えてくれる温かさが伝わるから斎場職員から「親戚ですか?」って言われるほど傍から見て和やかな雰囲気なんですね。

ちなみに今日の午後に来る故人の姉妹達は、お母さんの信仰と違うって言ってたし、姉妹だけ先に来るって言ってたろ。だから来てくれた時点で式場も見せて、部屋と式場どちらでお別れしたいか、線香は供えたいか聞いてあげようと思ってる。もし式場だったら姉妹達が帰ったら棺を安置室に移動すれば、お母さんは知らなくて良いことだからな。

はぁ~・・・、なるほどぉ、20数年間葬儀業界にいますけど、いつもの事ながら私の知る限り葬儀屋には無い発想ですね。新年早々、いい勉強しました。
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