》信仰者以外から見れば同じ
信仰する宗教の葬式をするのは自然だと思うし否定する気はない。
ただ無信仰の僕から見ると『そこそこ費用が掛る事は全て霊感商法』だと思っているし「この壺を持っていれば不幸に成りません」と何処が違うのか分らない。
骨壺の販売と寄付、寄進として多額の金品を渡す行為との違い全く分からない。
勿論、自分から献金、布施をするのなら何とも思わないが受け取る側が金額提示をするのは寄付とは言わないし商売だろ。
百歩譲って金額を提示してあげないと分らないと言うなら「千円以上ならいくらでも結構です」と言えば済むことだろう。
但し稀に「お気持ちで結構です」を実践している住職もいると利用者から聞くので、本物の宗教者もいるのは間違いないようです。
しかし多くの住職は建前の「お気持ちで――、」だ。仮に3万円包めば平気で「足らない」と言うのだから始末が悪い。
しかも足らない額が数十万円なのだから『何処がお気持ちで――、なんだよ』と言われて当然だろう。
もっと言うと無信仰者の僕からすると30万円、50万円、80万円布施(ほどこし)と呼ぶ神経が理解不能であり得ない。何処にそんな価値があるのか納得できない。
ついでに言うと戒名毎に布施額が違うのも理解不能。
信二信女戒名での葬式 30万円
居士大姉戒名での葬式 40万円~80万円
院号付戒名での葬式 80万円以上
これが群馬県での葬式の読経+戒名代なのだが、これを布施と言える富裕層ばかり住んでるのが群馬県だなのだろうか――、
インド仏教に戒名は無いから後からできたものだが恐ろしく高い名前料としか思わないし、個人的には戒名など要らない。
仏弟子のなるには戒名が必要だと言うなら仏弟子などなる必要はないとさえ思う。
数十万円を支払ったら絶対こうなると断言される事もなければ死後どうなるかは誰も分らないのだから何処が霊感商法と違うのか明確に説明できる宗教者はいないだろう。
いるとすれば自身の考え方を押し付けるだけで、例えば僕を心から納得させる事はできないだろう。
また他宗教の信者が同じように言っても僧侶が納得することはないだろう。
だから信者以外にとって霊感商法と全く変わらないと言うのです。
但し、読経戒名で数万円程度なら家族の心を安堵させ穏やかにする費用だと思えば納得もできるが、いかんせん余りに高額過ぎる。
年金暮らしの老人にとって生活費以外に30万円、50万円を貯めるのがどれほど大変か宗教者は考えた事が無いのだろうか。
人のいい相手なら貧しい人の生活を脅かしてまで布施を要求する・・・「それが宗教者なのか――、」
金が余ってる人なら好きにすれば良いが余裕の無い人は無理する必要はない