せっつかれる人生

我想う支援日誌
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遅ればせながら60代で葬儀支援を始めてから自分の本質がようやく分ってきたのには『お馬鹿なの?』と自分でも驚いてます。

サラリーマン時代は商人の子だから経営者が向いてるのかなぁと思い、いざ経営者になってみると現場のほうが活き活きできる自分を知った。

わずか50名の社員でも『面倒くせぇ』と思う日々、5年間毎年営業施設増やし周囲からは褒められたが決して楽しくは無かった。

最終的には共同経営者と分社、1億円の借金を背負うのだからざまぁない。幸いにもスタッフに恵まれ5年で返済できた。

経営者人生前半20年間のうち18年間は『人の問題』か『金の問題』で悩み、建前と世間体に神経を使う生活が性に合わない事も分かった。

ひとつの仕事を数十年間続けた記憶はないからコツコツと続ける仕事は苦手で中学生の時、後ろの黒板に書かれる「遅刻者」の文字が休暇前に簡単に消えないほど消されず年間130数回の遅刻もあった。

高校生になると自転車通学だったけど登校途中で疲れると喫茶店に入り、2時間目、3時間目に到着も珍しくないのだから愚図は間違いない。

社会に出ると思ったような評価をされなければ『上司が悪い』と思ってた時期もあったし今思えば当時はネガティブな発想が普通だった。

当時から他人様より若干近未来が見えたようで「5年後10年後はこうなる」と言っても経営者や上司には相手にされなかった事も多い。

かと思えば過大評価され背伸びするしかない経験も多く自分の本質を正確に把握できないまま50代を迎えたのが現実だったろう。

偶然から始まった葬儀支援だけど、何が自分に向いてるかと言えば『せっつかれる仕事』じゃないかなぁと思ってる。

人の死が相手だから、いつ電話が鳴るか分からないが鳴ったら待ったなしで動くしかない――、だからいつでも動けるよう準備をするしかない。

動画を見て夜中になって寝て無くても電話が鳴れば一区切りつくまで動かなければ終わらないのだから動くしかない。

例え熱があろうと、疲れてようと、正月だろうと関係なく『待った無し』だから根が愚図の僕には適職なのだろう。

自分のことなら『面倒だから後でいい』と思えても、他人様ひとさまの事だから後回しに出来ずいつでも出動する心の準備をするしかない。

経験無いから分りませんが『産科医師』『救急医療』『消防署』『警察』『自衛隊』などは同様の感覚じゃないだろうか。

過去の自分を振り返れば愚図なのだから、愚図は自主性より、せっつかれる仕事が合ってたのかとようやく分かった今日この頃です。

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