なぜ葬儀支援に拘るの!?

我想う支援日誌
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『菩提寺の葬式は受けない』『一般葬のような大きな葬式は受けない』と言われると確かに葬儀社とは違うんだなとは思う。

だけど、わざわざ儲かる葬式を断る必要はあるの!? 儲けの無い葬式プランばかりの施行だといくら受けても儲からないでしょ!?

・・・・それが我々素人でも分るから、葬儀社でなく本当に弱者対象の葬儀支援なんだって思うけど、もっと要領よく立ち回っても良いんじゃない?

理念や姿勢は分るし立派だと思うけど、あんしんサポートが無くなったら困っちゃうから、多少値上げしても良いから続けて欲しい。

何十回、もしかしたら百回以上聞かされた言葉だけど『葬儀支援に拘る理由は――、』

『第一の理由』
我々を必要とする人達の本音と実態を何度となく見て知ってしまったから・・・・

『第二の理由』
霊感商法と脅しで高額を巻上げてる現実を知ってしまったから・・・・

『第三の理由』
残る家族の生活さえ守れない葬式、その間違った現実を誰も正そうとしないから・・・・

まとめると――、
あの世があろうと無かろうと、死んだ人に何をしても生きかえることはない。

仏教、神道、キリスト教どんな宗教でもその事実を変える事はできないし、宗教儀式をしたからと何がどう変わるのか万人が納得できる証明は誰もできない。

ようするに何ひとつとして明確ではない。現行の葬式で安らぐ人は確かにいるだろうけど、より不安にさせる現実も多い。

その程度で宗教者への謝礼、葬儀社の料金は高過ぎる。ましてや80%以上は無信仰者と言われる日本なのです。

出演料50万円は高過ぎ、30万円だって高過ぎるし葬式総額100万円以上は高過ぎる。

一方、残った家族はこれからも生活をして行かねばならない。

対象者の終幕前は病院、施設等も含め多額の出費があったり、家族も働けず疲れ果てている人も多いのは誰でも分る通りです。

使える金額に決まりがあるなら最優先は『後の生活』次は『家族で温泉にでも行って色んな意味で区切りをつける』ことに使ったほうが良い。

故人の遺体は気の置けない人達だけで最後まで温かく送ればいい。火葬だけも、お別れの時間をとっても構わない。

その後は・・・・
残る家族が毎日を元気な笑顔で過ごす姿を見せ続ける事が仏教で言う最高の供養

これが、ど素人から偶然の流れで葬儀業界に関わった武井という人間の実感です。

ところが残念ながら、そんな思いを実現させてくれる葬儀社は皆無でした。だから自分で葬儀支援を始めたって事なんだろう。

そして『余りにスムーズに流され、目的や目標に迷う事もない15年』を考えると歩んだ道は間違って無かったんだろう。

結論を言えば『葬儀支援の実現を目指すのは明日は我が身だから』と過去に何度か書いた記憶がある。

人の役には立ってるでしょうが突き詰めれば自分の為であり我が子孫の為なんです。

但し僕は聖人君子ではありませんし、立派な人間でも、特別良い人でもありませんから、やる気の出ない対象者の依頼は受けないだけです。

あんしんサポートは行政でもなく、一切の助成金もなく、自分達の意志と協力者のお蔭で成立させている超零細の一般企業でしかありません。

家族が本気で調べれば、あんしんサポートに辿り着くのは決して難しい事ではありませんし、相談するしないは家族の自由です。

と同時に入会や依頼を受ける受けないは我々の自由です。

労働量に比べ報酬は低いです。でも我々の原動力は『家族』なんです。頑張って良かったと思わせてくれる家族の言動が最大の原動力です。

だから『受けなければ良かった』と思う確率の高い依頼は受けません。

一般の人から見れば、儲かる仕事をすべきでは――、と思うのは当然ですが、儲かる葬式がしたいなら初めから葬儀支援などしていません。

僕が葬儀の仕事を続けられる唯一の手段が『葬儀支援』です。葬儀屋なら続ける意味は無いし、続けるつもりもありません。

以上が『なぜ葬儀支援に拘るの!?』の答えです。

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