「欲」が心の安定を崩す

我想う支援日誌
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物欲、金欲は減り恵まれてる部分が見えてくる

葬儀支援を長年してきた最大恩恵?は、普通に動き働ける心身の健康と普通に食える事が、当り前でなく恵まれてると思うようになった事で『幸せの価値観』と『自分以外の人への感謝の念』が変化したからか、普通や平凡とは幸せであると教えられたことでしょうか。

「金」を求めた数十年を生きた結果、物欲に限界はなく挙句の果てに他人を騙したり、貶めおとしめたりしても物欲を優先させようとする餓鬼、亡者のような心境にさえ成り得る事、野に咲く小さな花、夕焼けの綺麗な空さえ目に入らない心に余裕の無い人達も見てきました。

自分さえ良ければ他人はどうでも良い、金さえあれば何でも出来ると思い込んでる人も多く、他人の価値観ですから否定するつもりはありませんが、葬儀支援を続ける中で感じた生き甲斐と幸福感はもっとシンプルで「金・物欲」とは必ずしもイコールで無いと感じるようになりました。

祖父母に欲しいものを聞くと「ない」と言ってましたが今の自分も同様で、あえて欲しいものと言えば金では買えない「若さ」と「健康」、時の権力者が不老不死の薬を求めたのも分かる年令になったのでしょう。反面、不老不死が実現したら生きてる事自体が辛くなるのでは?とも思う。

本物の富裕層経験はありませんが、小金持ちの経験から数百万円程度の物ならいつでも買え、1食2万円の料理でも食べようと思えば食べられる程度の収入になると見栄は無くなり、本当に好きなものを「好き」と言える自分がいて僕の場合「玉子掛けご飯」「夏場は葉唐辛子の漬物(今は売ってません)で水掛けご飯」「みそ汁を掛けたご飯」と育ちの悪さもあるのか、毎日でも食べられるのは粗食のようです。

暇な時間が無いのも幸せなこと

1日に8時間、1週間に40時間、4週で最低4日間以上の休日が労働基準法の定め、空いた時間は家族団欒だんらんや余暇として過ごせるよう国が定めた法律、上手に使い有効な時間にしておられる人も多いでしょうが、定年を迎えた人達の中には、有り余るほどの時間を持て余してる人もいるはずです。

昭和生まれの特徴か個人的な特徴が分かりませんが、電話が入れば動くしかない現状だから、わずかに空いた数時間をリフレッシュで有効に使ったり、健康を意識したり、更なる支援内容に挑戦したり、夜間は執筆、ブログ、ホームぺージ、パンフレット作成で使ったりしてます。

不定期な葬儀支援の実践もありますから、時間に追われる事も多いけど、それも充実した日々を生きる為のすべであり、生き甲斐と遣り甲斐の源とみなもとなってますから時間が無い、休みたい、ゆっくり旅行に行きたいと思える事そのものが「幸せ」なんだろうとさえ思う。

もし毎朝起きたら好きな事を好きなだけ出来る時間(ようするに暇人)がある生活だったら、それは幸せと思えるでしょうか!? まぁ世界中好きな場所に旅行し続けられる資金面の余裕がある人なら分かりませんけど、少なくとも僕にはそんな余裕はありません。

我々の年代は将来を語っても夢物語ですから、日々の小さな幸せを感じられる感性を失わず、今日を笑顔で生きて明日に繋げる人生を生きたいと思ってます。座右の銘である『人は執着を捨てれば楽に生きられる』は執着→欲に変更しても意味は変化しません。

執着・欲を捨てる秘訣は『今ある幸せを実感できる心を持つ』ことです。

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